公園の思想

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滞在先のそばにある公園に石のタイル貼りの設備があるので何かと思ったら、バーベキューの機械です。

これは誰がいつ使うの?予約とかいるの?
マキや炭はいるの??など頭がクエスチョンマークになったのでツイッターで尋ねると
誰でも使ってよい、ボタンを押すガス点火式で、コインを入れるものもあるとか。
コイン投入口が、なければ無料だそうです。
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週末だった昨日は実際に使っている人を見かけました。ソーセージの良い香りが公園に漂っています。

バーベキューテーブルを囲んでビールの小瓶片手に皆話しながらなんともリラックスした、時間。

バーベキューテーブルの周りには木でできたテーブルと椅子がいくつか並べられており
ゴミ箱もそばにあります。
犬のうんち取るビニールも公園内に点在している。
公園の芝生はきれいなもので、ゴミはほとんど落ちていません。

公園のバーベキューテーブルの別サイドでは他のグループが大きなバルーンと1のバルーンを飾って、テーブルや椅子を次々に並べている。こどものテントや車もある。楽しそう、一歳の誕生パーティーらしい。

夕方になればリードなしで犬たちが駆け回り
犬同士じゃれあい、追っかけあい、飼い主同士はてんでバラバラに遠くにいたり、近くで話してる人もいて思い思い。

あぁこんな公園が家のそばにあるだけでQOLはどれだけあがるか知れないな。

娘は広い芝生を走っています。ただ、目の前に走るスペースがあるからみたい。そして、延々ユーカリの木の皮をむく。(まるで仕事のように。)
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来てから10日ほど経ち、新しい街で緊張があるのだろうあまり色々と出かけたがらない娘もこのそばの公園は朝晩遊びたがり、できれば一日中過ごしていたい、という感じ。

ふと日本のこの記事が流れてきて目に留まりました。
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1178218/1198927/55158715


日本の「公」の考え方に共通する、「公である皆のものを占領したり私有化する者を排除するために誰にとっても使いにくいものにする」という思想。

記事にあるように日本のお役所の不器用さ、滑稽さが現れていますが、私にはそれが人間的な優しさと想像力の欠けた絶望的な悪意に思えます。

皆の場所を誰にとっても居心地の悪い場所に変化させてなんの利があるのだろう。確かにホームレスの人はそこに留まれないかもしれない、でもそれは自分の目の前から見えなくなっただけでいなくなる訳ではありません。

イガイガのオブジェだけではなく、
日本の公園でよく見かける「芝生養生中」虎ロープと三角ポール。人々がくつろぎを求める芝生に入れない期間のほうが長いという本末転倒感。

きれいな芝生を育てても、育てる最中は注意書きと虎ロープで人を排除し、結果そこに人が日常的に集まり楽しめなければなんのための公園なのでしょうか。

日常的にお金をかけずに心をリラックスさせたい時「この範囲でならよいですよ」と注意書きがあること。いつも、自分が管理される存在であることを、公園でさえ思い出すという息苦しさ。

こうしてオーストラリアの公園の大らかさに触れると一層、わたしにはそれが社会にとって些細なことには思えないのです。

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ボタニカルガーデンの周りに広がる芝生
広い!




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Commented by 鵯の at 2016-12-13 22:15 x
考えが整理できていない気がしたのでコメントを書き変えました。排除アートのことを考えると、気持ちがざらざらして落ち着かないのです。

以前ある知人が、公共スペースの占有については
「声の大きい者のごね得になっているが、間違っている」
と述べました。そして同じ人が別の機会には、
「声の大きい者を面と向かって批判すると、殴られたり刺されたりするから危険である、やり過ごすべき」と述べました。

しかし「占有は許せないが、力の強い者には逆らわない」と言うのであれば、それは力の弱い者にのみルールを押しつけることにしかならないのではないでしょうか。

私には、排除アートは行政の怯懦の結果に見えます。
そしてメルボルンのくつろげる公園は、社会のしなやかな強さに見えるのです。

公園の思想は、社会の思想ですね。彼我の差を目にして、強くそう思います。私たちが失ってしまったものが、まだそこにはあるのだと思うのです。
by grosgrain | 2016-12-11 04:53 | メルボルン滞在記 | Comments(1)

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