そこにある善意
2016年 12月 08日
成田に向かうバスにのったオーストラリア人の家族、たまたま出発の飛行機が一緒で、同じくらいのこどもがおり娘と意気投合、空港でしばし楽しく遊んだ。
友人はメルボルンにいるの?と聞かれる。娘と二人の様子は一目瞭然で、夫が後から来ることは伝えたか伝えなかったか、忘れたけれど。
向こうで遊びましょう、連絡してね。と声をかけてくれたので連絡先を交換し合った。
社交辞令じゃないか?と一瞬身構えてしまう私。でも娘もきっと遊びたいだろう、連絡しよう、と思う。
***
ツイッターでしか知り合いでなかったメルボルン在住の方が、出発前からマーケットや現地の情報を教えてくれるだけでなく、荷物まで預かってくれて車で届けてくれて… シッターさんも紹介してくれて、家にまで招いてくれる。
見ず知らずの私になぜこんなに良くしてくれるんだろう。たずねると
「この街に来たいと思ってる人には協力したい」とおっしゃる。
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二軒隣の女の子がノックして、生姜の瓶が開けられないんだけど開けてくれない?と言う。
いつものナイフの肢で蓋を叩く方法で開けてあげると、二軒隣だから、何か困ったらいつでもいってね、とウィンクして行く。
なんなんだろう、家の様子見に来たのかな?とか勘ぐる私。
長い友人であるガメ氏が、その様子をツイッターで見て「ミナは田舎者だの〜 日本以外では善意が普通なのだ」と指摘してくれたので、はっ、とする。
わたしもどっぷり日本社会に染まっていて、善意の存在が信じられず、素直に受け止めることもできなくなってること。受け止められないのだから、当然わたしから善意で行動することなどできないことは、想像に難くない。
哀しいことだ。全く哀しい。
ここで心をほぐして、アップして身体を温め、すぐに人へさっと手がでるように、わたしもなりたい。
道を歩いていたら通りすがりおじいさんが
"God bless the little one." と娘に祝福をくれた。
あの人は変な人なんじゃない、
娘の存在を喜んでくれて、育てているわたしにも祝福をくれたのだ。
善意が当たり前な社会に、わたしも参加しよう。
by grosgrain
| 2016-12-08 05:09
| メルボルン滞在記